2009年にスタートし順調に機能して来た裁判員制度の根幹をゆるがす動きが、
最近、立て続けて発生しています。その動きが最高裁判所・高等裁判所・地方裁判所に
広がってきています。
裁判員制度は「市民感覚」を裁判に取り入れるために導入されているにもかかわらず、
裁判員制度で出された量刑が高等裁判所・最高裁判所で覆される裁判が立て続けに
出てきています。
・大学生の女性(当時21歳)が殺害された事件では、殺害前後に強姦・強盗を犯した
被告(54歳)に対して裁判員裁判では死刑だった量刑を高等裁判所・最高裁判所では
無期懲役(*1)としました。
この被告は有期懲役の前科があり、刑務所から出所したばかりでした。
*1:米国の終身刑と異なり、日本の無期懲役では20年前後の刑期で出所して
世間に戻ってくる。最近は25年前後か?
・大阪府でおきた障害致死事件では、被告2人に対して裁判員裁判では懲役15年の
量刑でしたが、最高裁判所では1人に懲役10年、もう1人に懲役8年に減刑しました。
裁判員制度で出された量刑を高等裁判所・最高裁判所が覆した理由は
「先例(先行の裁判の量刑)の傾向を踏まえるべき」「過去の裁判との公平性が必要」
でした。
裁判毎に一般市民の中から選ばれる裁判員に「先例(先行の裁判の量刑)の傾向」や
「過去の裁判との公平性」を求めるのは不可能なことです。プロの裁判官にしか
判断できないことを一般市民の裁判員に求めるのであれば、裁判員制度を廃止するしか
ありません。
裁判員ができないことを理由に、裁判員が下した量刑を覆してしまう高等裁判所・
最高裁判所の裁判官がこれほど愚かだとはあきれるばかりです。また日常生活を犠牲にして
裁判に参加し、国のためにつくした裁判員に対しても失礼ですし、不愉快な思いを抱かせて
しまいます。こんなことでは裁判員のなり手は誰もいなくなってしまうでしょう。
地方裁判所においてもおかしな動きが広がり始めています。
「裁判員への心理的な負担を減らすために、公判において遺体の写真をイラストに代用」
「遺体のイラストは写実的で裁判員の負担が大きいとして、その使用を認めない」
など、地方裁判所の裁判官もまたおかしな判断を下すようになりつつあります。
量刑判断には事件の残虐さも考慮する必要があるのに、裁判員には「写真もだめ」
「イラストもだめ」では裁判員は事件の残虐さの判断ができなくなるという不合理な状況に
置かれることになってしまいます。
この残虐さは無期懲役か、死刑かの判断にも関係してくる条件の1つであり、量刑判断の
重要な要素です。
最高裁判所から地方裁判所までのこれらの動きは、「『市民感覚』を裁判に取り入れようと
導入された裁判員制度」を否定する動きであると言わざるをえません。
私たちは、今後のこのような裁判所の動きを注視していく必要があるようです。