石巻市の大川小学校旧校舎が震災遺構に!

宮城県石巻市の大川小学校を覚えておられますか?

東日本大震災の津波で学童74人と教職員10人が犠牲になってあの小学校です。

東日本大震災で学童多数の犠牲者を出してしまった唯一の学校です。

地震発生後、約50分間、学童・教職員が校庭にとどまり、津波に巻き込まれて

ほとんどの学童・教職員が犠牲になってしまいましたが、人災といっても過言ではないと

筆者は思っています。被災3県の大川小学校を除くすべての学校は地震発生直後、避難して

多くの犠牲者を出さずに済んだからです。大川小学校の学童の遺族からは訴訟もおこされて

います。

 

その大川小学校旧校舎が東日本大震災の遺構として保存されることに決まり、3月26日に

石巻市の市長より正式に発表されました。

筆者は以前から石巻市の動きが気になり、ウォッチしていました。

大川小学校の遺族や住民は、

  「後世に教訓を伝えるために保存すべきだ」

  「見るのがつらいので解体してほしい」

と二分されていたからです。2015年秋の石巻市の調査によると、

大川地区意向調査では「解体してほしい」が54%と過半数を占めたのに対して、

市民全体の調査では「保存すべきだ」が60%に達し、意見がまとまりませんでした。

今回の石巻市の「保存すべきだ」の決定に筆者は大歓迎です。

というのも筆者は長崎市出身の被爆者で、長崎市の二の舞をしてほしくないからです。

皆さんは被爆地として先ず最初に頭に浮かぶのは広島市と長崎市のどちらですか?

広島市でしょう! なぜかというと広島市には被爆の遺構『原爆ドーム』が

残っているのに対して、長崎市には原爆の悲惨さを示すような遺構は何も残っていません。

『原爆ドーム』以上に最適な遺構『浦上天主堂(教会)』がありましたが、解体してしまい

何も残っていません。

米国のオバマ大統領が大統領として初めて被爆地(広島)を訪問しましたが、被爆地訪問の

筆頭に上がったのは広島市であり、長崎市ではありません。遺構のあるなしでこれほどの

差が出てしまうのです。 

人間は何も見えないものについては忘れ去ってしまいます。

大川小学校の被災遺族の方々が、「人々の頭の中から大川小学校被災のことを忘れ去って

ほしい」と望むのであれば遺構は解体すべきでしょう。でもなくなった児童達のことを

忘れ去ってしまう方が本当にいいのでしょうか?

亡くなった児童達はそれを望むでしょうか?

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